ギリシャ神話の成立
ギリシャ神話はもともと紀元前15世紀頃~紀元前8世紀頃までギリシャにおいて口承で語られてきた伝説です。口承文学だったので、語り手によって内容が若干違ったり、英雄や神の子孫であると自称する王を満足させるための脚色もされたでしょう。それをまず文学作品にしたのが紀元前9世紀の盲目の詩人ホメロス(ホメロスとは「盲人」という意味の方言)でした。
ホメロスがあらわしたのは英雄アキレウスの活躍など、トロイヤ戦争10年目のことを歌った「イリウス」とトロイヤ戦争の英雄オデュッセウスが故郷に戻るまでの道のりを描いた「オデュッセイア」の2つの抒情詩です。
紀元前8世紀になると、詩人ヘシオドスが「神統記」「仕事と日(労働と日々)」をしるしました。「神統記」はゼウスなど神々について、「仕事と日」はプロメテウスやパンドラなど人間の誕生についての神話が含まれます。ヘシオドスは「仕事と日(労働と日々)」の中で、ギリシャ文化は神々と人間がともに幸福に暮らしていた黄金時代から銀の時代、青銅の時代、英雄の時代を経て暴力が支配する鉄の時代に堕落した」ととき、欲望を捨てて黄金時代に戻ろうと訴えています。
紀元前5世紀になるとアイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスという3人の悲劇作家が登場します。3人のそれぞれの代表作は次のとおりです。
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ギリシャ神話の主な舞台は、ミュケネ文明(紀元前1550年頃~紀元前1100年頃)の中心地で、テバイ、スパルタ、アテネ、ミュケネ、ティリンス、トロヤなどです。
ギリシャ神話の広まり
紀元前4世紀後半、国力が衰退したギリシャはマケドニア軍の配下に置かれます。そしてマケドニア王アレクサンドロスの東方遠征に伴ってギリシャ文化は広く世界に伝えられました。アレクサンドロスは東西文化の融合を積極的に行い、ヘレニズム文化が生まれました。この文化の芸術にはギリシャ神話をテーマにした作品が多く見れます。
紀元前146年、ギリシャはローマ帝国の属州になりました。そしてローマ人たちは、積極的にギリシャ文化を取り入れていきました。ギリシャ神話が古代ローマで知られるようになると、ローマ人たちは自分たちが崇めていた神々(ユピテル、ユノ、などラテン語名の神々)とギリシャ神話の神々が同一であるように考えるようになりました。そして、ローマで作られたラテン文学の中ではギリシャ神話がラテン語で語られ、神々の名前もラテン語で呼ばれることになったのです。その中の一つがウェルギリウス(紀元前70~前19年頃)による『アイアネス』です。この中で「トロイアから脱出した王家の末裔アイアネス一族がローマ人の祖」であるとかたられています。「その子孫で軍神アレス(マルス)を父に持つ双子のきょうだい、ロムルスとレムスがローマを創建した」という説がローマ史に定着しました。
ギリシャ神話からローマ神話に移っていく過程で、内容的には、人間の行動を戒めるような内容から、より娯楽性に富んだ内容に変化していきます。文学作品の中で詩人オウィディウス(紀元前1世紀~)の『変身物語』がもっとも有名です。この『変身物語』は15巻あり、この物語が様々な芸術家の創作意欲を駆り立て、ギリシャ神話をモチーフにした文学や劇、絵画や彫刻、音楽など様々な影響を与えました。