ギリシャ神話のオルフェウスの冥界下り
今回はオルフェウス(オルペウス)とその妻エウリュディケの神話について紹介したいと思います。
オルフェウスについては、次のとおりです。
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オルフェウスが結婚してまもなく、妻であるエウリュディケが毒蛇に噛まれて命を落としてしまいます。どうしても彼女を忘れられないオルフェウスは、冥界から彼女を連れ戻すために「冥界下り」を決心します。
冥界の入口で番をしている番犬ケルベロス(3つの頭を持つ怪物)や三途の川の渡しであるカロンらにであうと、オルフェウスは妻をなくした悲しみを竪琴の調べにのせて表現し、それを聞いた彼らはオルフェウスを先に通します。ついに、冥界の王ハデスと女王ペルセフォネに会うところまでたどり着き、そこでまた竪琴の演奏をすると、ハデスもその音色に感動し、エウリュディケを地上に戻すことを許してくれました。
ただし、ハデスはエウリュディケを地上に戻すために1つの条件をつけました。それは、冥界を出るまで、後ろを振り向いてはいけない、というものでした。暗い冥界の道を先にオルフェウス、続いてエウリュディケが歩いていきます。オルフェウスは、エウリュディケがついてきていると信じてあるき続けました。
しかし、もうすぐ出口、というところでオルフェウスは後ろから足音がしない事に気が付きました。妻が本当についてきているのか不安になったオルフェウスは、つい、振り向いてしまいます。エウリュディケはそこにいました。しかし、禁を破ったために、彼女は再び冥界へ連れ戻されてしまいました。
妻を永遠に失ってしまったオルフェウスは、その後オルフェウス教という宗教を始めたとされています。
ギリシャ神話のオルフェウスの神話と日本神話の共通点
冥界くだりの神話とは、神や英雄などが生きたまま冥界に赴き、帰還するというテーマのものをいいます。他にもシュメール神話(女神イナンナの冥界くだり)、日本神話にも冥界下りの神話があります。特に日本神話には、オルフェウスのように、冥界に妻を取り戻しにいく物語があります。それが、イザナギ・イザナミの神話です。
イザナギ・イザナミの神話のあらすじは次のとおりです。
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オルフェウスの神話とイザナギ・イザナミ神話では、共通している点と異なる点があります。
共通点は次のとおりです。
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「見るな」の禁止は、オルフェウスの神話以外にもパンドラの箱の神話などにも出てくるテーマです。現代でいうと「フラグが立つ」というのかもしれませんが、[見るな」と言われると余計に見たくなってしまう好奇心は、ひと特有ものであり、それがひとをひとたらしめ、しかし一方で身を滅ぼす愚かな点にもなりうることを示しているのがこの神話のテーマなのかもしれません。
異なる点は、次のとおりです。
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オルフェウスの神話では、エウリュディケは生きていたときにと同じ姿でしたが、イザナギ・イザナミ神話では、イザナミは恐ろしい姿になっていました。これは、イザナミが黄泉の世界の食べものを食べていたからだと言われています。
「見るなの禁止」を破ってしまったあと、オルフェウスは妻を失い、なすすべなく地上に戻って、宗教を始めます。別の活動で悲しみを紛らわせた、ということでしょうか。それに対して、イザナギは恐ろしい姿の妻を見て、逃げ出し、挙句の果てに地上に出てこれないようにしてしまいます。迎えに行ったのに、逆に閉め出す結果になってしまいます。
禁を破られた側の妻の行動としては、エウリュディケは冥界に連れ戻されます。イザナミはイザナミを追いかけ、怒り、「こんなひどいことをするなら、私は1日1000のひとを冥界に連れて行く」と叫びます。それに対してイザナギは「では私は1日に1500のひとを産ませよう」と返し、ふたりは離縁することになります。夫婦げんかで、人間の人口の増減に関わってしまったという、かなり影響力の大きい結果となってしまいます。
オルフェウスの神話は、ひとの愚かさと大切な人をなくしてしまうと取り戻すことはできない悲しさを感じますが、イザナギ・イザナミ神話は、悲しみよりも、この世とあの世(黄泉)のことわり(生まれてくる命と、なくなっていく命)を示す神話となっているように思います。